■もっと毎日を味わえばよかった
普通に英語音声の映画を見ている時とか、SNSで流れて来た英語の動画にクスっとした時とか、長いこと英語を勉強してきて良かった、と思う瞬間があります。
でも、英語の勉強をして後悔することもないわけではありません。
もっと毎日を楽しめばよかったなー、と思うのです。
目的地まで行くのを焦り過ぎて、目的地までの道のりを楽しめなかったという後悔。
■まだ足りないという呪縛
とくにワーホリから帰ってきてからカナダに再渡航するまでの約4年間は、常に時間が勿体ない、英語の勉強をしなくては、と思っていて、仕事をしていても遊んでいても
「こんなことをしている時間はないのに…。英語の勉強をしなくちゃいけないのに…。」
と思っていて、かといって英語の勉強をしている時はしている時で
「こんなペースでは何年やっても上達しない…」
と思っていました。
帰国後に再就職してからも、ぼんやりと、数年働いたらまたカナダに行きたいと考えていたので、
もっと英語を勉強しなければ
もっと節約しなければ
という“呪縛”により、生活を楽しめていませんでした。
■2003年の楽しかった思い出は何?
今思えばもっと日本の生活を、30代を、家族との会話を楽しめたはずなのにと思うのです。
そしてテレビもあまり見ず、音楽も聴かなかったせいか、その4年間の記憶はあまりありません…。
もちろんその期間があったので今カナダで働くことができているわけですけど、SNSで残業のあと帰宅してそれから英語の勉強をしている人の投稿を見ると、今この瞬間を楽しむのも忘れないでね、と思います。
■あの頃の記憶がない、と言わないためにも写真を撮っておけばよかった
英語の勉強しかしなくて後悔していることは、写真を撮らなかったことです。
写真を見たら、一瞬で当時の記憶が蘇ったりしますよね。
15年近く経った今、もし当時使っていた教材とか、電子辞書とか、勉強しながら食べていたお菓子とかの写真があったら…。
写真判定じゃないけど、ビュンビュン過ぎていく時間の一瞬を写真で切り取っておいて、あとで眺めていたら、“当時の記憶が無い”なんて今頃言っていないはず。
あぁ、写真を撮っておけばよかった。撮った写真も捨てなければよかった。
…って、今考えたら当時はデジカメじゃなくて現像する写真が主流だったし(つまり撮った写真を見るまで時間もお金もかかる)、デジカメにしたって画素数が低くて画像の粗い写真しか撮れなかったんでした。
Photo by pixabay.com
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