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この間、友人と歩いていたら社会の窓が開いていることを指摘されました。
屋外で!
キャッ!
恥ずかしい!
どう指摘されたかと言うと、こちらのフレーズを言われました:
Your zipper is down.
“開いてる”だからというって必ずしも “open”という単語を使うわけではないのですね。
もしあまり親しくない間柄で遠回しに言いたいときには別の言い方もあるとは思いますが、僕はノンネイティブなので、これ、使っていこうと思います。うふふ。
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この間、友人と歩いていたら社会の窓が開いていることを指摘されました。
屋外で!
キャッ!
恥ずかしい!
どう指摘されたかと言うと、こちらのフレーズを言われました:
“開いてる”だからというって必ずしも “open”という単語を使うわけではないのですね。
もしあまり親しくない間柄で遠回しに言いたいときには別の言い方もあるとは思いますが、僕はノンネイティブなので、これ、使っていこうと思います。うふふ。
犬に触ったら静電気がバチっとしたんです。
同居人がそれを見ていて目が合ったので
「静電気!」
と言おうとしましたが「静電気」が英語で出てこなくて、スタ…スタなんだっけ…スタティスティックスは『統計』だし…なんて思っていたら、同居人に
「Did you get a shock?」
と言われました。
そっか!
「静電気」って名詞とか「バチっと」って擬音語とか言わかくても「ショック」でいいのか!
と学んだエピソードトークでした。
ちなみに静電気は static electricity で、静電気のショックを正式に言うなら static shock と言うみたいです(この記事を書くにあたって今調べましたw)。
スタティック、スタティック、スタティック…覚えようっと。
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若手お笑い芸人のYouTubeを見ていると、「彼らは僕らと同期なんですよ」というのをよく聞きます。
ベテラン芸人が若手芸人に「君らの同期は誰なの?」と聞いてる動画も見ました。
これって最近のことですよね?
昭和のお笑い芸人は下積み時代を師匠の付き人や運転手をしていたりして「同期」の基準があいまいだったと思います。
それが芸人になるにはお笑い養成所に行くのが当たり前になって、「同期」が分かりやすくなりました。入学や卒業が一緒ですもんね。
※「最近」って、昭和だったのも30年以上前の話ですが…
アナウンサーも同期トークをよくする人たちですよね。
普段は言葉遣いがきちんとしていてご自身の話は控えめなテレビ局のアナウンサーが同期入社のアナウンサーの暴露話をするというのはありがちな微笑ましい茶番です。
アイドル歌手の世界でも、最近は加入・脱退を繰り返しながらグループ自体は存続させるグループアイドルが主流なので「3期生だけでコンサートを」とか「カップリング曲は9期だけで歌唱」とか「同期」というのをよく聞くようになりました。
いや、昔のソロのアイドル歌手だって、賞レースの新人賞というわかりやすい指針もあって、40年経った今でも「〇〇ちゃんとは同期なんです」と話したりしています。
一度でも社会人を経験した人なら「同期」と言う言葉の重みが分かると思います。同期しか共有できない色々な感情や内輪ネタ、まさに同期の絆です。
この「同期入社」とか「同期の絆」みたいな感覚、英語ではあまり表現されないんです。
学生であれば一緒に卒業する仲間を「Class of 1995」(卒業式が1995年)のように表現したりして同じ時期に同じ学び舎で時間を過ごしたことを大事に思うみたいな概念はありますが、仕事ではそういうのは無いみたいです。
というのも、英語圏(といっても僕はカナダしか知りませんが)の就職事情が日本と違うからです。
新入社員は一斉に〇月に入社というよりは経験者が各自バラバラに入社する感じです。
さらに上下関係は年齢でも入社年度でもなく、役職で決まります。そもそも管理職も求人して採用するので、他社から転職してきた中途採用者(つまり自分より後から入社した人)が自分の上司なんてこともよくあります。
そしてそもそも英語は日本語の「そうです」「そうだよ」「そうなの」のように語尾を相手によって細かく変える必要もないことからわかるように(ちなみにこの場合全て Yes, it is) 先輩・後輩で口調を変えたりしません。
限られた僕の経験上の話ですが、新入社員も中途社員も、新人だからと謙虚に腰を低くすることなく、初日から普通にしています。わかりやすく例えるなら、初めて会う他部署の人や勉強会・交流会の参加者みたいな感じです。お互いに対等な感じ。先輩が威張ってないし、新人も委縮してない。
英語圏の職場だと、職場において同期だけで何かを乗り越えたり、同期だけがつらい目に遭うようなことがないから「同期入社」みたいな表現が無いのかもしれません。
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自分が反省してるかしてないか、一番わかっているのは反省している本人のはずなのに、日本では実際は周りの人が判断してるんですよね。
しかも演技力がすべて。
カナダで仕事をしていると、ミスをして反省しているかどうかなんて周りの人は気にしていないと感じることが多くあります。
今度から気を付けます、という「しょぼーん」とした反省より、今度から気を付けなくっちゃね、教えてくれてありがとう、みたいな sorry より thank you と言う風潮です。うちの職場は、ですが。
日本にいた頃は、英語教室などに外国人の英語の先生を手配する仕事をしていました。
顧客からの苦情でよくあったのが、
「反省していない」
というものだったんです。
遅刻したのに反省していないとか、打ち合わせ内容を忘れてしまったのに反省していないとか。
顧客のクレームを聞き、外国人インストラクターへの研修という形で反映させるのが僕の役割だったので、インストラクターにはとりあえず
「遅刻したり忘れ物したりしたらちょっと元気ない演技してね。」
と言っていました。
だってそれしかないじゃん?
重大な失敗をしてしまったために事故が起こってしまったとか誰かが休み返上で対処しなければならなかったとかならまだしも、ちょっとの遅刻や、ちょっとの忘れ物なら、そもそも反省らしい反省もいらないですよねぇ?
必要以上にへりくだったり腰が低かったりすると、却ってイライラさせてしまうみたいです、っていうか、個人的には謝られすぎるとイライラするようになってしまいましたw
余談ですが、「定時になったら帰ってしまう」というのもクレームになったことがありました。
それ自体はどうしようもないので(だって定時だもん)、上司に世間話風に
「『定時になったら帰ってしまう』ってクレームがあるんですよ」
と話したところどうやってインストラクターに伝えているか聞かれたので
「『申し訳なさそうにペコペコしながら帰る』ですよ。それ以外ないじゃないですか」
と言ったところ、後輩が
「私もインストラクター達にそう言ってます」
と話に参加し、続けて
「そういうしかないですよねぇ」
と顔を見合わせたのでした。
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カナダで事務員として働く日々のお話です。
SNSを見ていたら、「リモート会議中に内職していたら~」と、ひそかに自分の業務をすることを「内職」と当たり前に表現している人がいて、日本語ではそういうのか、と納得しました。
なにせ僕が日本で働いていた頃はリモート会議中なんてありませんでしたから、そういう日本語に弱いんです。
15年前と今ではオフィスで使われる機器も働き方も変わったことでしょう。僕のビジネス日本語のレベルは「ファックス送信しました」で止まってますw
さて、リモート会議中の「内職」と言うのを知った翌日、偶然にもそんな感じの状況になりました。
4名でリモート会議をしていたのですが、担当者が話題に出た資料を探して「ちょっとまってくださいね~」となったとき。
急ぎの仕事を抱えていた参加者の1人を気遣った上司が、
「彼は急ぎの仕事があるからマルチタスクさせてもいいかな」
と言ったのです。
この意味での内職は、英語ではマルチタスク(multitask)って言うんですね。
ちょっとうしろめたさが減る感じw
たいていこういうとき、内職(マルチタスク)をする人は
I'm listening 「(会議を)聞いてますよ」
と言いますね。
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英語の勉強を始めた理由がイギリスの小説や映画やドラマが好きになったから、なんて人もいると思います。
日本ではアメリカ英語に触れることが多いので、イギリス(やイギリス英語)が好きな人は、意識してイギリス式の言い回しや発音を覚えてるみたいです。
たとえば I can't をアイキャントじゃなくてアイカーンツと言うとか、「電話する」を I call youじゃなくて I ring you と言うとか。getting ならゲリンじゃなくてゲチン。
僕は日本で英語を使う会社で働いていたことがありますが、短期留学とか、いえ、たとえ旅行でも、イギリスに行ったことのある人は帰国後はさらにこの傾向が強いと思います。
日本育ちで所々日本で覚えたであろう英語(アメリカの表現)が出てきたり、全体的にはイギリスどころかアメリカでもない日本語訛りのカタコト英語で、申し訳ないけど「なんちゃってイギリス英語」だなぁなんて思って見てました。
カナダに来てからの話。
前の職場での話ですが、来客を担当者まで案内したことがありました。
当時の職場はあまり来客はなく、問い合わせはメールや電話が多かったのですが、どうしてもその方は実際に人と会って話を聞きたいとのこと。
日本人女性でしたが切羽詰まっているというか殺気立っている感じで、僕が日本人だろうが関係ないと言わんばかりに英語で用件を言われたのですぐ担当者に取り次いだのでした。
彼女は前述の「イギリス(やオーストラリアやニュージーランド)の英語を敢えて習得しようとしている人」でした。
対応を終えた担当者(カナダ人)が僕の所まで来てうんざりしたように一言。
「なぜ彼女はオーストラリア人の真似をしているの?」
日本人が頑張って話したイギリス英語がオーストラリア英語に聞こえたのか、それともこの女性はオーストラリアに留学していたのかわかりませんが、この担当者にはそう聞こえたのでしょう。
実は僕も同じようなことをしていました。
今は知りませんが僕が中学・高校の頃の教科書はアメリカ英語で、大人になってから入会した英会話スクールでもそうでした。
洋画と言えばハリウッド映画のことで、アメリカの歌手もたくさん日本の歌番組に出ていました。
そんななか初めて行った国がニュージーランドでイギリス英語の国だったので、「日本で耳にしていた英語(今思えば米語)と全然違う」「本場ではこういうのか!」と衝撃を受け、必死で覚えようとしました。
※ネイティブから「どこで英語を勉強したの?ああ、やっぱりね」と言われたい魂胆もありましたけどね。
それがカナダに来て、仲良くなった人に「なぜそんな気取った話し方をしているの?」と言われて気づきました。
どう聞いても英語のネイティブではないのに、ちょいちょいイギリス英語を挟んでくるのが気になったようです。
つまりこれは、すっかり関西弁をマスターした気で話している非関西人を見るイタさなんだと思います。
まだ日本で働いていた頃、取引先にもいました。たった4年間大学で関西に居ただけで、すっかり関西弁が身についてしもうたって言ってた人。
当時はまだネットもなく、関東の人が関西のお笑いに影響されてツッコミ用語(「なんでやねん」など)を言う時代でもありません。
普段は標準語なのに、まじめな話をしているときちょいちょい関西弁を挟んできて「ワイ関西に居たんやで」のアピールをしてくるんです。
関西育ちでもないのに、関西に縁もゆかりもない僕に向かって、この関東の片田舎で、なんで関西弁(しかも関東民でもわかるエセ関西弁)つこーてんねんっちゅうー話や!
先述のカナダ人スタッフがイラっとしていたのも、おそらく同じような理由だったんじゃないかと思います。
ネイティブの話す英語ではなく明らかにイギリス育ちではないとわかるのに(むしろ明らかに日本人の英語)、カナダの街でカナダ人に向かって、なんで無理してイギリス英語つこーてんねん!
「関西の大学に行ってたんや」や「イギリスで語学留学してたんやで」もいいけど、用件があるときはもっと地味にね。
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今回は英会話とか英文法には関係のない話ですが、皆さんが英語圏に渡航する際の心構えに役立つかも…?
日米(とか日英)合作の映画を見ると、現実味がなさすぎてしらけてしまうことがあります。
別に日本が日本らしく描かれていないとかそういう話ではありません。
制作に日本が関わっていれば日本が正しく描かれている場合が多いし、日本の俳優が起用されているので日本人役の俳優の日本語が片言なんてこともありません。
それなのに、です。
では何が個人的に気に入らないかというと、英語圏に渡航した日本人が現地の人と対等に描かれすぎてるからです。
いくら英語が堪能でも、ノンネイティブだとわかる英語では実社会では基本的にはお客様扱いされがちです。特に「日本からやってきた」という設定ならなおさら。
日本の刑事が海外に渡航して現地の刑事と協力するなんて設定の話の場合(これ自体非現実ですがそれは気になりませんw)、お客様扱い間違いなしでしょう。
現地の刑事は日本人の刑事と話すときには子供と話すようにゆっくり話したり、やさしく聞き返したり言い換えたりすることになると思います。
映画のように渡航してすぐ
「日本から来た〇〇刑事だ。よろしく。」
ってすぐ溶け込んでしまうのは、日本から来た偉い人を現地の上司に案内する仕事をしていた経験からすると違和感しかありません(笑)。
外国に十何年住んでるけどまだお客様扱いと感じる人、僕以外にもいるんじゃないかなぁ。
現地の人でも、上記の設定でいえば刑事など職場の人ならまだ失礼な態度は取らず「お客様扱い」で済むかもしれませんが、一般の人となると英語が片言の日本からやってきた人には横柄な態度を取ることもあり、差別的に感じることも出てくるでしょう。
それでも生まれも育ちもその国の人なら余裕もあって優しいことも多いですが、移民の人たちは意外と意地悪だったりするのです。
職場や趣味などで知り合ったなら同じ移民同士ということで仲良くなる場合もありますが、売店の店員など見ず知らずの人だとこちらが日本人(中国人と思ってる節あり)というだけでぶっきらぼうで失礼な接客をされることもあります。
レジで始終無口で値段さえ言わないので接客とは呼べないことも!
個人的にはそういう失礼な店員というのはアルバイトのような若い人やチップなども発生しない低賃金の仕事の場合が多いのでむしろ可哀想と思っているというか慣れましたが、聞き込み調査のシーンなど街の人と対等に話している場面では違和感があって話が入ってきません(笑)。
そしてさらに新入り(特に外国から来た人)が直面する問題が。
悲しいことに「この国の事を分かっていない」という偏見があるせいか、最初は信用されないというか必ず疑われるんです。
例えば日本でも、職場という環境に他所から入ってきた人はそういう経験があるかもしれません。
新人の頃、職場で誰かがミスした場合、疑われたことはありませんか?
新人が疑われるならまだわかります。
が、新人が現地の人(英語のネイティブ)で先輩が外国人(僕のように外国で長く働いている人)の場合、新人は先輩を疑うんです。
個人的な話で他の人はどうかわかりませんが、僕の場合、誰かがミスをしてそれが誰かわからない場合、新しく入社してきた人(現地人)は必ず僕を疑います(苦笑)。
その人が困って助けてあげたとか、その人がどうしてもわからない質問があって教えてあげたとか、心から「助かった~、良かった~」みたいな経験をするまでは、こちらは外国人なので「本当に分かってんの?大丈夫?」みたいに思われてるようです。もう10年以上働いているんですけどね。
現地の新人(と言っても転職組の中年)はまるで「新入り君、ウチの会社は慣れたかい?」とでも言うように「日本人君、カナダはもう慣れたかい?」と思っているみたいです(良く言えば現地のおじさま・おばさまが気にかけてくれてる)。
仕事の処理能力や経験値と言葉がカタコトかどうかは比例しないはずですが、やっぱり初見の人には言葉がペラペラじゃないと信用されないようです。
日本のコンビニでも、店員が日本語の怪しい外国人だとちゃんとやってくれるか心配だ、なんて声も聞きますもんね。
日本語がイマイチでも長年そこのコンビニで働いていれば各種支払いや手続きの処理を早く正確に出来るでしょう。
僕はネイティブスピーカーの中途採用のみなさんから見たら“よそ者”です(何年経っても・涙)。だから新入社員のミスを発見すると「あなたの見間違いでは?」「それ私じゃないです」「もう一度確認してみては?」と言われて信用してもらえないのです。
しばらく一緒に働いて、彼らのピンチを救ってあげて初めて信頼される(頼られる)ようになった経験しかないので(それでもまた新人が入ったら同じことの繰り返し)、赴任した初日から現地の人みんなが話を聞いてくれるストーリー展開にはまたまた違和感です。
街にもよりますが、英語圏ではちょっとした街なら移民がいるのが普通になってきています。
親が移民で本人は生まれも育ちもその国という、見た目では外国人か現地人か判断できない人もたくさんいます。
例えば日系二世、三世…と呼ばれる人たちがそうですね。見た目は日本人でも、中身は現地人。
買い物に行っても、バスに乗っても、現地で就職しても、様々なバックグラウンド(本人や親、親戚の出身地)の人がいるんだなーと思わされることが多々あります。
なのに、日本人が活躍するドラマではそういう分かりづらい現地人は出てこなくて(日本人俳優を出すために日系人という設定はよくありますが)、日本人とヨーロッパ系しか出てこない作品が多くて非現実的だと思ってしまいます。
僕が住んでいる町は田舎なので日本人や日系人はあまり見かけませんが(都会に多い印象)、東南アジアとか中東系の人は多くはないもののどこかしらで見かけます。
二か国合作映画で日本人が活躍するようなストーリーの場合、劇中の日本人は「在米20年の事務員」とか「在豪30年の現地コーディネーター」とかではなくて、「日本に住んでいて日本から外国に来た人」が多いと思うんですが、英語が上手すぎると思います(個人の感想です)。
その上手さが「きっと帰国子女って設定なんだな」とか「インターナショナルスクール出身って裏設定なのかもね」みたいなことを一切思わせない上手さなんです。
アクセント(特定の地方の訛り)がなくて、かといって一生懸命に英語を話すときに出る日本語訛りでもなく、やけにスラスラ言えている感じ。
やっぱりノンネイティブとわかる英語。
現実社会では、帰国子女とかでなく映画の設定のような「日本からやってきた人」なら、もっと片言で、それでいて発音はカタコトながらも自分の言葉で言ってる(頭の中で英作文しながら言葉を紡いでる)感じがするものです。
いっぱい練習したんだろうなー、たくさん音読したんだろうなー、という上手さは感じるもの、「普通の日本人」がそこまで英語スラスラ言えるか?と気になってストーリーが頭に入ってきません😢
もしかして俳優本人はペラペラなのに役のために敢えてカタコト風に喋ってるからあんな風になってしまってるのかもしれませんが。
日本から来た人が乗り越えなければいけないことがスパッと抜けてる作品が多いので、ストーリーに出ていない裏設定で「実は言葉の壁や現地になじむまでの時間の壁を一気になかったことにできる魔法を使えるキャラがいるのでは」なんて思ってしまいます。
医療関係者が医療ドラマを、警察官が刑事ドラマを見て、それぞれ違和感しかないというように、合作映画のような日本人が海外で活躍する映画を見るとどっちでもいいことが気になってストーリーがあまり入ってきません(笑)。
フォーチュンクッキーって聞いたことあるけど、何?
という声を聞いたことがあります。
そういえば日本ではなじみがないかも、と思い、今回はその話をしたいと思います。
由来や発祥その他は各自検索していただくとして(笑)、まず、フォーチュンクッキーとは何かというと、味が瓦せんべいに似たお菓子です。
カナダでは(そしておそらくアメリカやほかの国でも)中華料理で出されます。
といってもメニューにはなく、伝票やレシートなどと一緒に、食後にくれるものです。
日本でも焼肉屋さんなどで会計後に飴をくれるところがありますよね?
そんな感じでカナダの中華料理店では飴の代わりにこの瓦せんべいに似たフォーチュンクッキーをくれるのです。
会計を各テーブルで済ますことろなら、お会計をお願いした時に伝票を持ってきてくれたタイミングで。
支払いをカウンターで済ますところならレシートと一緒に。
そんな感じで食事を終えて帰るときにもらえることが多いです。
パックマンのような形のクッキー(というか瓦せんべい)を割ると、中にはおみくじが入っています。
最近はうちの近所ではフォーチュンクッキーをくれるお店は少なくなったような気もします。
フードコート内のファストフードの形態の店も増えましたし。
いろんな店から出前を取っていますが、今回はめずらしくフォーチュンクッキーが入っていたので久々に昔ながらの北米の中華料理店っぽいなーと思いました。
僕はあまり洋楽を聴かず、むしろJ-POP(と呼ばれる前の80年代後半~90年代は邦楽とか歌謡曲と呼ばれていました)を聴いてつらい学校生活や社会人生活を乗り切ってました。
サブスクのおかげで今も当時の音楽も聴き放題ですが、いまだに昔の曲を聴いています。
でも。
英語がわかるようになった今、当時の歌を聴いて英語の歌詞が出てくると、昔のようには曲の世界観に没頭できなくなってしまうことがあるんですよね。
せっかくなので、J-POPに出てくる英語のフレーズで残念な点を挙げてみたいと思います(読みたい人るのか)。
中高生の頃は英語の意味もよく分からず、分かったとしても「〇〇って意味らしいよ」程度の間接的な理解でしたが、実際に意味がわかるとちょっと不自然な直訳だったりするんですよね。
意味も伝わるし文法も合ってるけれど、英語圏で生活していて普段そんな言い方はしない、と思うことも。
とくに日本語の歌の中の世界観と合ってない場合、日本語詞のすばらしさに反して英語詞の不自然さが際立つ感じがする場合もあります。
歌の中の主人公は傷ついて繊細な感じなのにサビの部分の英語のフレーズが直接すぎて引いてしまうこともあります。
上記の直訳とは逆で、自然なフレーズが使われることもあります。
普段の生活で不通に使う、決め台詞でも何でもない言葉。
でもその普段使いのフレーズを、日本の歌詞の中で突然決め台詞っぽく扱ってる場合。
さてはこの人、海外旅行か何かでこのフレーズを聞いて、格好いいと思ったんだな、普通の生活で使う言葉なのに、と思ってしまいます。
日本語の歌詞の中でちょこっとだけ英語のフレーズを入れるなら「がんばれ!」とか「すすめ!」とか色々あるだろうに、なぜ「お疲れさまでした」? みたいな感じです。
そもそも日本人歌手による日本語の歌なら、僕は基本的には英語のフレーズの発音は気にしません。
たとえ歌詞カードには英語で書いてあったとしても、アイドル歌手のようにカタカナ発音で歌っているほうが正統派ポップスという気さえします。
ですが、“アーティスト”と呼ばれるような、ロックやニューミュージック(とかいうジャンルは令和の時代はもう言わないのかな?)の歌手やバンドで、英語の部分を英語っぽく歌おうとしている場合。
たまに残念なことがあります。
たとえばビクトリーもヒストリーもオネストリーも、トリーの部分をカントリーのそれと同じように歌ってしまっていると、ロックシンガーらしくカッコよくと英語っぽくしたつもりだとは思うのですが、一周回って単なる間違いなので、ツッコミを入れたくなって陶酔していても冷めてしまいます。
僕は英語の勉強を始めた大昔(20年以上前)、a や s が抜けてるのは思った以上に未完成な文章、つまり片言で幼稚に聞こえる、と上級者から聞いたことがありました。
その通り。
二十年以上たった今、それがわかる気がします。
冠詞の a や the 、単数形の s などが抜けていると、どんなにロックでポップでアーバンなサウンド(どんなサウンドよw)を奏でていても、文法的に未完成な英語詞が飛び込んでくると急に間抜けな(可愛らしくもある)印象になってしまいます。
日本語で例えるなら「てにをは」が抜けているような、映画の中での典型的な外国人キャラや宇宙人キャラ、しゃべる動物キャラが言う「ワタシアナタ大切」のような意味は伝わるけど流暢さにかける(そのぶん可愛い)イメージになってしまうので、曲の良さが半減してしまいます。
冒頭の通り、僕はほぼJ-POPしか聴かず、80~90年代の日本のロック・ポップス、っていうか歌謡曲がつらい毎日の支えになりました。そして30年経った今でも聴いています。
今こうして英語圏で生活しているのも、そのころの歌謡曲がやたら曲名やサビの部分に英語のフレーズを使っていたから英語に興味を持ったのがきっかけなのかもしれません。
でも、バイリンガルでもない限り無理に英語使わなくてもよくね?というのが英語を日常的に使うようになってからの感想です。
あ、このバイリンガルというのは作詞も含めて、です。80年代のバイリンガルのアイドルで英語的におかしいものを歌わされていた方もいましたから(最近サブスクで聞いて気づきました)。a が抜けてるとか、名詞ではないのにハイフンがあるとか、そもそも英語的に不自然な文章だったりとか。
バイリンガルの人が作詞もして自ら歌うととても自然で、英語がわかる人(海外で日本語を勉強している人とか)が聴いても突然出てくる英語詞に不自然さを感じないはずです。実際ニューヨーク生まれでバイリンガルのシンガーソングライターで国内外で大人気の方がいますよね。